芥川龍之介の恋文

〜現代語訳版〜

原文はこちらにあります

大正五年八月廿五日朝 一の宮町海岸一宮館にて

文ちゃん。

僕は、まだこの海岸で、本を読んだり原稿を書いたりして 暮らしています。
何時頃 うちへ帰るか それはまだ はっきりわかりません。
が、うちへ帰ってからは 文ちゃんに こういう手紙を書く機会がなくなると
思いますから 奮発して 一つ長いのを書きます。
昼間は 仕事をしたり泳いだりしているので、忘れていますが
夕方や夜は 東京が恋しくなります。
そして 早く又 あのあかりの多い にぎやかな通りを歩きたいと思います。
しかし、東京が恋しくなるというのは、
東京の町が恋しくなるばかりではありません。
東京にいる人も恋しくなるのです。
そういう時に 僕は時々 文ちゃんの事を思い出します。
文ちゃんを貰いたいという事を、僕が兄さんに話してから 何年になるでしょう。
(こんな事を 文ちゃんにあげる手紙に書いていいものかどうか知りません)

貰いたい理由は たった一つあるきりです。
そして その理由は僕は 文ちゃんが好きだという事です。
勿論昔から 好きでした。今でも 好きです。
その外に何も理由はありません。
僕は 世間の人のように結婚という事と いろいろな生活上の
便宜という事とを一つにして考える事の出来ない人間です。
ですから これだけの理由で 兄さんに 
文ちゃんを頂けるなら頂きたいと云いました。
そして それは頂くとも頂かないとも 文ちゃんの考え一つで 
きまらなければならないと云いました。

僕は 今でも 兄さんに話した時の通りな気持ちでいます。
世間では 僕の考え方を 何と笑ってもかまいません。
世間の人間は いい加減な見合いと いい加減な身元調べとで 
造作なく結婚しています。
僕には それが出来ません。
その出来ない点で 世間より僕の方が 余程高等だとうぬぼれています。

兎に角 僕が文ちゃんを貰うか貰わないかという事は
全く文ちゃん次第で きまる事なのです。
僕から云えば 勿論 承知して頂きたいのには違いありません。
しかし 一分一厘でも 文ちゃんの考えを 無理に 脅かすような事があっては 
文ちゃん自身にも 文ちゃんのお母さまやお兄さんにも 
僕がすまない事になります。
ですから 文ちゃんは 完く自由に 自分でどっちともきめなければいけません。
万一 後悔するような事があっては 大変です。

僕のやっている商売は 今の日本で 一番金にならない商売です。
その上 僕自身も ろくに金はありません。
ですから 生活の程度から云えば 何時までたっても知れたものです。
それから 僕は からだも あたまもあまり上等に出来上がっていません。
(あたまの方は それでも まだ少しは自信があります。)
うちには 父、母、叔母と、としよりが三人います。
それでよければ来て下さい。
僕には 文ちゃん自身の口から 
かざり気のない返事を聞きたいと思っています。
繰返して書きますが、理由は一つしかありません。
僕は文ちゃんが好きです。それでよければ来て下さい。

この手紙は 人に見せても見せなくても 文ちゃんの自由です。
一の宮は もう秋らしくなりました。
木槿の葉がしぼみかかったり 弘法麦の穂が
こげ茶色になったりしているのを見ると 心細い気がします。
僕がここにいる間に 書く暇と書く気とがあったら もう一度手紙を書いて下さい。
「暇と気とがあったら」です。書かなくってもかまいません。
が 書いて頂ければ 尚 うれしいだろうと思います。

これでやめます 皆さまによろしく

芥川龍之介


この恋文全文引用に関して
快く承諾してくださった「一宮館」様並びに
芥川瑠璃子様に深く感謝致します。

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